写真3(江戸・明治・大正) Flashcards
名称、所在地
日光東照宮陽明門(日暮御門)
所在地:栃木県日光市
建物全体がおびただしい数の極彩色の彫刻で覆われ、一日じゅう見ていても飽きないということから「日暮御門」と称される。徳川家康をまつる。権現造。屋根は入母屋造、銅瓦葺きで東西南北の各面に唐破風を付す。
名称、所在地
桂離宮
所在地:京都市西京区
数寄屋造。17世紀に八条宮智仁親王(後陽成天皇の弟)の別邸として創設された建築群と庭園。
名称、所在地
修学院離宮
所在地:京都市左京区(比叡山麓)
後水尾上皇の指示で作られた離宮。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。
名称、作者、所在地
大徳寺方丈襖絵
作者:狩野探幽(永徳の孫)
所在地:京都市北区
国宝。
名称、作者、所在地
雪中梅竹遊禽図襖
(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)
作者:狩野探幽(狩野永徳の孫)
所在地:名古屋城(愛知県名古屋市)
名古屋城に徳川家光が上洛の途中で立ち寄った時の迎賓の部屋「上洛殿三の間」の装飾襖。
名称、作者
夕顔棚納涼図屏風
作者:久隅守景(くすみもりかげ)
国宝。左上の大きな白い満月が,おぼろげにあたりの闇をも引き込んで,夕顔棚の風景と柔らかい白黒の対比を醸し出すのが,いかにも清新な趣である。
名称、作者
風神雷神図屏風
作者:俵屋宗達
国宝。後に、尾形光琳、酒井抱一が模倣した作品を制作した。
名称、作者
舟橋蒔絵硯箱
作者:本阿弥光悦
国宝。蓋甲を高く盛り上げた独特の姿をみせる硯箱。箱の外側は全面を金粉を密に蒔いた金地に仕立て,鉛板の橋を斜めに渡し,『後撰和歌集』に収められた源等の歌「東路のさのの(船橋)かけてのみ思わたるを知る人そなき」を銀文字で散らす。光悦蒔絵の代表作である。
名称、作者
色絵花鳥文深鉢
作者:酒井田柿右衛門
赤絵の技法。純白に近い白磁に華麗な上絵を施した柿右衛門様式の色絵磁器は,当時のヨーロッパで人気を博し,盛んに輸出された。この大深鉢はわずかに青みを帯びた白色磁胎に,赤・緑・青・黄の華やかな色絵で花鳥を描く1600年代の作。蓋を伴った類品が多くヨーロッパに伝世しているところから,輸出物として作られたものであったが,この作品は珍しく日本に伝世した。
名称、所在地
東大寺大仏殿
所在地:奈良県奈良市
国宝。権現造。東大寺の本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置。正式には東大寺金堂。徳川綱吉配下の勘定奉行・荻原重秀などの寄進により、現存する大仏殿の建設が始まり、1691年(元禄4年)に完成、1709年(宝永6年)に落慶した。
名称、作者
群盲撫象図
作者:英一蝶(はなぶさいっちょう)
名称、作者
紅白梅図屏風
作者:尾形光琳
後に「光琳梅」として愛好される花弁を線描きしない梅花の描き方や蕾の配列、樹幹にみられるたらし込み、更にほかに類を見ない卓越した筆さばきをみせる水紋など、優れた要素が結集して、画面に重厚なリズム感と洒落た装飾性を与えている。本屏風が光琳画業の集大成であるといわれる所以であろう。
名称、作者
燕子花(かきつばた)図屏風
作者:尾形光琳
尾形光琳は、後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖。江戸時代中期を代表する画家のひとりである。
名称、作者
八橋蒔絵(螺鈿)硯箱
作者:尾形光琳
国宝。本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳の作品。意匠は、光琳が好んで採り上げた『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面による。表面には黒漆を塗り、蓋表と身の側面に燕子花(かきつばた)と板橋を描く。
名称、作者
見返り美人図
作者:菱川師宣
菱川師宣は浮世絵を確立した人であり、すなわち最初の浮世絵師である。本作は、代表作にして、師宣の代名詞的1図。美人画。肉筆画。東京国立博物館蔵。女性は、17世紀末期当時の流行であった女帯の結び方「吉弥結び(きちやむすび)」と、紅色の地に菊と桜の刺繍を施した着物を身に着けている。それらを美しく見せる演出法として、歩みの途中で後方に視線を送る姿で描かれたものと考えられる。
名称、作者
色絵月梅(図)茶壷(いろえげつばいずちゃつぼ)
作者:野々村仁清(にんせい)
重文。野々村仁清は丹波の出身で,京都御室仁和寺門前の御室焼を指導し,京焼色絵陶器の完成者として名高い。茶壷に多くの優品を残しており,この壷でも見事なまでの轆轤の技を見せ,上絵具と金泥を使い,立体意匠の魅力を充分に生かして,気宇の大きな狩野派風の月梅図を描く。仁清絵茶壷の代表作である。
名称、作者
鉈彫りの両面宿儺像
作者:円空
鉈彫り。鉈を上から下に振り下ろす(はつる)ことによって、木材をダイナミックに刻み、力強い躍動感を与える円空円熟期の作風は「鉈ばつり」と呼ばれ、円空仏の代名詞になっている。ある種の潔さと強い決断とスピードが要求される技法。まるで燃えさかっているように逆立った髪型は、まさに鉈彫りによるもの。それに加えて、平ノミ、丸ノミ、角ノミなど、10種類ほどのノミを使って仕上げている。
名称、作者
弾琴美人
作者:鈴木春信
鈴木春信は、錦絵(多色刷りの浮世絵版画)の創始者。春信の描く美人は、人物が一般に小柄で手足もか細く、色彩も胡粉を混ぜた中間色を使っており、その叙情性も幻想的にさえなる。その優れた錦絵作品は一時代をなし、後世にまで大きな影響を与えている。
名称、作者
婦女人相十品
(表は「ポッピンを吹く女」、裏は「読書美人(ふみよみびじん)」)
作者:喜多川歌麿
この大判錦絵10枚の揃物は、「婦人相学十躰」とともに寛政3、4年(1791、92)頃の作で、歌麿の芸術的最盛期の初期に属する傑作。この時期、円熟期に達していた歌麿は、女性の上半身や顔を画面いっぱいに構図する新様式を発表。女性の顔の表情や髪型の美しさを活写したところに特色がある。またこの「婦女人相十品」の揃物は、すべて背景が雲母摺りで、当時としては高価な雲母の粉を用いて摺ったぜいたくなものとなっている。
名称、作者
市川蝦蔵(えびぞう)
作者:東洲斎写楽
大首絵の手法。写楽は江戸時代中期の浮世絵師。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。
名称、作者
富嶽三十六景(右図は「神奈川沖浪裏」)
作者:葛飾北斎
各地から望む富士山の景観を描いている。1823年(文政6年)頃から開始し、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。遠近法が活用されていること、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
名称、作者
富嶽三十六景(右図は「凱風快晴」)
作者:葛飾北斎
各地から望む富士山の景観を描いている。1823年(文政6年)頃から開始し、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。遠近法が活用されていること、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
名称、作者
東海道五十三次
作者:歌川広重
『東海道五十三次』保永堂版は、広重の作品のうち最もよく知られたものであり、もっともよく売れた浮世絵木版画でもある。名勝を写して、浮世絵に名所絵(風景画)のジャンルを確立した。西洋の構成表現が取り入れられ、日本風に消化されている。
名称、作者
江戸名所百景
作者:歌川広重
(写真左)「する賀てふ(駿河町)」
(右) 「王子稲荷の杜」
名称、作者
十便十宜図(図は「釣便図」(池大雅))
作者:与謝蕪村、池大雅
『十便十宜』(じゅうべんじゅうぎ)は、清の劇作家李漁(李笠翁)が、別荘伊園での生活をうたった詩。草蘆を山麓にむすんで、門をとじて閑居したところ、客の訪問を受け、静は静であろうが、不便なことが多いであろうといったのに対して、便と宜とそれぞれ十則の詩を作ってこたえたというもの。これに基づいて1771年に池大雅が「十便帖」、与謝蕪村が「十宜帖」を描き、合作した画帖が「十便十宜帖」。
名称、作者
鷹見泉石像
作者:渡辺崋山
国宝。渡辺崋山(1793-1841)は,田原藩(愛知県)の江戸詰家老。谷文晁らの教えを受け,西洋画法を取り入れた独自の画法を確立したが,「蛮社の獄」で,田原に蟄居中,49歳で自殺した。古河藩(茨城県)の江戸詰家老で,蘭学の先輩でもある鷹見泉石を描いたこの図は,崋山45歳の作。微妙な陰影法による写実的な顔の描写とおおらかな着衣の表現とが渾然ととけ合った傑作である。